西 暦 (和 暦)
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虫
明 焼 に 関 す る 主 な 事 項
(虫明焼について・蓼純の虫明焼半可通から)
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1818年(文政元年)頃
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岡山県邑久郡邑久町虫明に、今吉吉蔵が虫明焼を創窯する
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1833年(天保 4年)
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野田焼(兵庫県)の陶工・兵衛門が、今吉吉蔵の虫明窯に来る
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1842年(天保13年)
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備前焼類似事件等で虫明焼が廃窯する
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1847年(弘化 4年)
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3月 清風与平が虫明に来て、虫明焼を復窯する 同年10月京都に帰る
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1852年(嘉永5年)頃
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真葛長造が二代真葛長造と虫明に滞在し制作 三年位滞在か。
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1860年(万延 元年)
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3月 真葛長造が逝去 6月 二代真葛長造が逝去
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1861年(文久 元年)
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12月 清風与平が逝去
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1862年(文久 2年)
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3月 虫明焼の民営化、伊木三猿斎が虫明窯を森角太郎に譲渡
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1863年(文久 3年)
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野田焼(兵庫県)の陶工・永田宗右衛門・赤松平右衛門が、森角太郎の虫明窯に来る
玄々斎の依頼で千少庵所持伝来高麗三嶋写水指を虫明窯で30点造る
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1866年(慶応 2年)
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8月 今吉吉蔵が逝去。
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1868年(明治 元年)
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真葛香山が九州からの帰途、虫明に滞在し森香洲、久本葛尾等に陶技を指導
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1870年(明治 3年)
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初秋 真葛香山が虫明から京都に帰る、秋には横浜に移住する
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1871年(明治 4年)
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真葛香山が輸出用陶磁器を制作するために横浜で開窯する
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1877年(明治10年)頃
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澤村東左が、京都五条橋東から虫明に来て制作する
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1880年(明治13年)
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3月 虫明焼・森角太郎窯が倒産 (黒井覚弁が窯主になる、後に篠尾敏樹へ譲渡)
12月 森香洲が、師・真葛香山の横浜窯に行く 久本葛尾は備前へ行く
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1881年(明治14年)
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3月 第2回内国勧業博覧会に 真葛香山が渡り蟹水盤(後に重文)を出品する
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1882年(明治15年)
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4月 森香洲が横浜から虫明に帰る 岡山天瀬陶器製造所(旭焼)が閉鎖
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1883年(明治16年)
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初代・二代横山香寶が森香洲の弟子となり虫明焼を始める
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1886年(明治19年)
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3月 伊木三猿斎が逝去
秋 森香洲と初代横山香寶が、師・真葛香山の横浜窯に行く
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1893年(明治26年)
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森香洲と初代横山香寶が、横浜窯から倉敷の酒津窯に行く
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1894年(明治27年)
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4月 森香洲と初代横山香寶が、倉敷の酒津窯から虫明に帰る
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1896年(明治29年)
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4月 真葛香山が帝室技芸員になる
11月 虫明陶器製造所設立 森香洲、初代横山香寶も従事
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1897年(明治30年)
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12月 真葛香山が緑綬褒章を受ける
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1899年(明治32年)
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虫明陶器製造所が経営不振で廃窯する
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1905年(明治38年)
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5月 虫明陶器製造所を森香洲と地元有力者が再興する
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1906年(明治39年)
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6月 森角太郎(森葛雄)が逝去
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1913年(大正 2年)
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4月 虫明陶器製造所が再び廃窯 森香洲が横浜に、初代横山香寶は酒津に行く
6月 森香洲が真葛香山の勧めで横浜窯から三笠窯に行く、11月横浜窯に移る
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1914年(大正 3年)
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5月 森香洲が横浜窯から三笠窯に行き、秋に虫明に帰る
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1916年(大正 5年)
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3月 真葛香山が渡り蟹水盤を再び作る
5月 真葛香山が逝去
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1918年(大正 7年)
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7月 久本葛尾が逝去
7月 備前焼陶器株式会社・虫明工場を設立 森香洲、横山香寶、岡本英山が従事
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1919年(大正 8年)
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12月 田中巴石が逝去
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1920年(大正 9年)
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森香洲が虫明工場を辞職、10月初代横山香寶は備前に行く
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1921年(大正10年)
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12月 森香洲が逝去
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1924年(大正13年)
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備前焼株式会社・虫明工場が閉鎖 岡本英山は津山浮田窯に復帰
3月 黒井覚弁が逝去
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1928年(昭和 3年)
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12月 初代横山香寶が逝去
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1931年(昭和 6年)
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二代横山香寶が虫明の瀬溝で陶業を再開
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1932年(昭和 7年)
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4月 岡本英山が虫明窯に復帰、虫明の立場で陶業を行う
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1933年(昭和 8年)
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2月 黒井一楽が二代横山香寶に師事し作陶を始める
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1934年(昭和 9年)
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二代横山香寶の窯は廃窯 8月 黒井一楽が虫明上町に開窯
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1940年(昭和15年)
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川喜多半泥子、金重陶陽、金重素山が虫明・英山窯で来遊製作
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1941年(昭和16年)
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川喜多半泥子、金重陶陽が虫明・英山窯で来遊製作
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1942年(昭和17年)
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11月 二代横山香寶が逝去
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1947年(昭和22年)
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9月 松田崋山が逝去
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1949年(昭和24年)
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今城国忠が来窯し牛の置物を制作
黒井一楽の虫明窯が廃窯
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1950年(昭和25年)
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1月 田中波石が逝去
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1951年(昭和26年)
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3月 黒井一楽が株式会社にして再び虫明焼窯を開窯する
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1957年(昭和32年)
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11月 真葛香山作の手付染付樽が、岡山県指定重要文化財に指定される
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1962年(昭和37年)
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4月 岡本英山が逝去 後継者がなく立場窯が廃絶する
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1966年(昭和41年)
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1月[備前虫明焼]桂又三郎著が発行される
黒井千左が父・黒井一楽に師事し作陶を始める
東原好輔が作陶を始める
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1967年(昭和42年)
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松本繁雄が伊木三猿斎の茶室と立場窯を復興する
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1972年(昭和47年)
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森香泉が作陶を始める
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1975年(昭和50年)
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3月 虫明焼研究家・池上千代鶴が逝去
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1976年(昭和51年)
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黒井一楽が脇窯(曙窯)を築窯、その曙窯に高橋一甫が京都から来て制作
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1978年(昭和53年)
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黒井慶雲が父・黒井一楽に師事し作陶を始める
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1979年(昭和54年)
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松本学が作陶を始める
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1980年(昭和55年)
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2月[増補改定備前虫明焼]桂又三郎著が発行される
4月 黒井一楽が岡山県重要無形文化財保持者に認定される
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1985年(昭和60年)
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黒井一楽が労働大臣卓越技能者となる
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1987年(昭和62年)
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10月 虫明焼研究家・桂又三郎が逝去
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1988年(昭和63年)
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3月黒井一楽を会長とする虫明焼作陶会が設立される
(会員:黒井千左、黒井慶雲、森香泉、松本学)
4月 虫明焼が岡山県伝統的工芸品に指定される
12月[虫明焼の記録]池上千代鶴著が発行される(池上淳之編集)
米田佳泉が森香泉に師事し作陶を始める
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1989年(平成 元年)
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9月 森香泉がシンガポール日本芸術家交流展に出品
この作品がシンガポール国立博物館に永久収蔵される
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1990年(平成 2年)
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藤本扇山が作陶を始める
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1991年(平成 3年)
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太田コレクションが邑久町立中央公民館に常設展示される
黒井千左が日本工芸会正会員に認定される
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1996年(平成 8年)
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2月 黒井一楽が逝去
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1998年(平成10年)
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米田佳泉が岡山市西大寺に工房「佳泉」を開設
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1999年(平成11年)
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太田巌(太田コレクション)が逝去
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2002年(平成14年)
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8月[邑久町史・文化財編]が発行される
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2003年(平成15年)
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10月 蓼純(たでじゅん)が虫明焼のホームページ・
「虫明焼の栞(むしあけやきのしおり)」を作る
・むしあけやき/虫明焼の栞
・今月の抹茶碗/虫明焼の栞
・虫明焼について・蓼純の虫明焼半可通/虫明焼の栞
・蓼純Collection/虫明焼の栞
・虫明焼の年表/虫明焼の栞
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2006年(平成18年)
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黒井博史が父・黒井千左に師事し作陶を始める
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2011年(平成23年)
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3月 黒井千左が岡山県重要無形文化財保持者に認定される
4月 森香泉が逝去
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2016年(平成28年)
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真葛香山(宮川香山)没後100年展が、岡山県立美術館などで開催される
[図録・宮川香山]発行
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2018年(平成30年)
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虫明焼展(岡山に花開いた京の焼物)が、岡山県立博物館で開催される
[図録・むしあげ]発行
黒井博史が日本工芸会正会員に認定される
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